2022年5月 1日 (日)

神のミステリー

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神のミステリー

                             詩篇78篇

なぜ神は、このような「うなじのこわい(かたくなで強情な)民」を選ばれたのか?何をお考えなのか?この民に対する神のご計画は何なのか?この詩篇を読むとさらに謎は深まるばかりです。新約時代に生きる私たちにとってもこの謎はいつも問いかけられます。そうです教会がまさしく神の奥義なのです。それゆえいつも私たちは神の奥義(ミステリー)を追求し続けることが必要です。神の三つのミステリーをこの詩篇から紐解いていきましょう。

1.みことばに生きる(神の考え)

「主はヤコブのうちにさとしを置きイスラエルのうちにみおしえを定め(5)」私たちが、一つ目のミステリーである「神の考え(御心)」を知る唯一の方法が、みことばである聖書を読むこと、そしてみことばを食し、みことばに生きることです。そうすれば「神の考え」がわかるのです。「わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す(エレミヤ31:33)

2.神を愛する(神の思い)

「しかし神はあわれみ深く彼らの咎を赦して滅ぼされなかった。怒りを何度も抑えて憤りのすべてをかき立てられることはなかった(38)」二つ目のミステリー「神の思い」それは愛です。私たちには理解することができない自分を犠牲にする愛です。「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい(ロマ12:15)」

3.神のみ声に従う(神の意志)

「神はご自分の民を羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた(52)」神は私たちを必ず約束の地(御国)へと導かれる神です。三つ目のミステリー「神の意志」は御国の完成です。神の意志は絶対であり、すでに完了されています。何という不思議でしょうか、「主の熱心がこれを成す(II列王19:31)」のです。

メッセージ:藤木隆

2022年4月24日 (日)

アブラハムの祭壇

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アブラハムの祭壇

創世12:7-813:2-422:9-10

1.感謝の祭壇-主の恵みを覚える

主はアブラムに「わたしが示す地へ行きなさい」と語られました。アブラムは「あなたを祝福」するという約束を信じて、「カナンの地」の「シェケムの場、モレの樫の木のところまで」来ました。主はアブラムに「この地を与える」と言われました。その時「アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築」(12:7)きました。アブラムは「主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った」(12:8)のです。彼はここまで導き「この地を与える」と言われた主に感謝をささげたのです。詩103:1-2

2.軌道修正の祭壇-主に立ち返る

この後、カナンの地が飢饉のため、アブラムはエジプトに下って行きました。アブラムは御心を祈り求めず、自分の考えに従い、周りの人々の行動に合わせたのです。そして自分が殺されることを恐れ、サライに「妹だと言ってくれ」と頼みました。その結果、エジプトに災害をもたらしてしまったのです。アブラムはエジプトから追い出され、カナンの地に帰り、以前に築いた祭壇のある場所で、主の御名によって祈ったのです。彼は原点に返り、主に従うことを表明する軌道修正の祈りをささげたのです。哀3:40-41

3.献身の祭壇-自分を供え物としてささげる

主は、アブラハムに最愛の一人息子イサクを殺し、焼き尽くせと命じられました。アブラハムは、何の疑いも、躊躇もなく、直ぐに主の御声に100%従いました。アブラハムは、神がお告げになった場所に着くと、祭壇を築きました。そしてイサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置き、刀を取ってほふろうとした時、御使いが止めさせました。主が求めていたのはイサクではなく、アブラハムの主に対する心だったのです。アブラハムがささげたのは、イサクではなく、アブラハム自身だったのです。ロマ12:1

メッセージ:伊藤正登師

2022年4月17日 (日)

よみがえりの命

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よみがえりの命

ヨハネの福音書12章24節

イエス・キリストは死からよみがえりました。同じように私たちも、主の再臨の時によみがえります。しかし再臨の時ではない今でも、どの信仰者のためにもよみがえりというものがあるのです。イエスはこの真理を明らかにしています。その「よみがえりのいのち」によって生きるという真理です。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)

1.(古い自分に)死ぬ「地に落ちて死ぬ」

その姿を蝶にたとえるとすると、蝶になるためにはまず、イモムシの命に死ぬ必要があります。私たちも、古い自分に「死に」ことが必要です。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。(ガラ2:20)

2.(古い自分を完全に)葬り去る「もし死ねば」

そのイモムシはサナギとなるのですが、サナギになる前に、彼らはドロドロの液体になるのです。一度、体のほとんど全てが溶けて無くなるのです。私たちも、その古い自分を十字架につけ、完全に葬り去るのです。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(IIコリント5:17)

3.(キリストの命に)よみがえる「豊かな実(いのち)を結ぶ」

さらに不思議なことに、彼らは一度体のほとんどすべてが溶けて無くなったにもかかわらず、自分たちがイモムシであった時のことを覚えているのです。私たちの中には、よみがえりの命をもってキリストが生きてくださるのです。「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。(ローマ6:5)

メッセージ:藤木隆

2022年4月10日 (日)

昼のうちに働こう

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昼のうちに働こう

ヨハネ9:1-7

1.神は人のいやすためにイエスを遣わされた

イエスは、道端の盲人に対し、生まれつきの盲目だったのは、神のわざが現れるためだと言われました。神は人をいやしたいと願っておられます。神はご自身のお働きを行うために、イエスを遣わされました(イザヤ35:1-7)。

2.神は人々の心の目が開かれるためにイエスを遣わされた

このシロアム(遣わされた者)とは神から遣わされたイエスを意味します。イエスは盲人をいやし、その盲人は後にイエスを見て信じ、心の目も開かれ、救われました(ヨハネ9:35-38)。神は心の目が開かれ救われることを願っておられます(Ⅰテモテ2:4)。神は人々を救うためにイエスを遣わされました(ヨハネ3:17)。そのために、イエスを信じることこそ神のお働きなのです(ヨハネ6:29)。

3.イエスは私たちを遣わされた

人々をいやし、福音を伝えるために、イエスは弟子たちを遣わされました(マルコ16:15)。福音は、信じる者を救う神の力だからです(ローマ1:16)。イエスは天に帰られましたが、聖霊が遣わされました(使徒1:8)。私たちは聖霊とともにイエスを証しするのです(ヨハネ15:26-27)。私たちはイエスとともに働くイエスの友です(ヨハネ15:15-16)。

4.神の御業を現すのは昼の間だけ

イエスは私たちに、昼の間に、神の働きを行わなければならないと言われました。なぜなら、夜が来ると誰も働くことのできなくなるからです。終末に近づくにつれ、産みの苦しみのように、災害も頻度を増してきます。普通に生きることが徐々に困難な時代になってくるのです。時間制限があるという危機感をもって福音を宣べ伝えましょう。

メッセージ:柴田晃師

2022年4月 3日 (日)

神の腰帯

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神の腰帯

                             詩篇76篇

神の腰帯それは、神のチャンピオンベルトです。どのような攻撃にも勝利されるお方、この詩篇では人の怒りにも勝利されると言っています。「怒りの余りをあなたは帯とされる。10節(口語訳)」怒りは人の心を変えるほどの強い感情です。人はそれを抑えることができません。そればかりか、怒りは多くの問題を引き起こします。私たちはそれら問題に勝利し、神のチャンピオンベルトを腰に締めるものたちです。

1.愛の帯(愛-コロサイ3:14,真理-エペソ6:14)

「怒りをかき回すと争いが起こる。箴言30:30」とあるように怒りは「争い」を引き起こします。しかし詩篇では「神はそこで弓の火矢を砕かれる。盾と剣も戦いも(3)」とあります。この「砕く」という行為は、神の愛のゆえに偶像を徹底的に「打ち砕く」、「打ち壊す」行為です。神の愛はそのような怒りからくる争いを治めてくださいます。

2.キリストの花嫁の帯(花嫁-イザヤ49:18,仕える-ルカ12:37)

怒りは、エジプトのパロが行ったように「愚かな振る舞い」を引き起こします。約束したことを破る行為です。しかし神はご自身の誓い(約束)を決して忘れることなく、それを果たしてくださる方です。「・・・誓いを立てそれを果たせ(11)」愚かな振る舞いをして花婿を悲しませるのではなく、私たちはキリストの花嫁として誓いを立て、神に仕えていく者です。

3.みことばの帯(剣-詩篇45:3,力-詩篇93:1,正義-イザヤ11:5)

怒りは、兄たちが父親に寵愛される末の弟ヨセフに持ったように「ねたみ」をかき立てます。帯は神のみことばである「剣、力、正義」を表します。ヨセフはこう言いました。「私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。(創50:20)」神は「ねたみ」を神のご計画のために使われるのです。神のみことばは勝利を与えるチャンピオンベルトです。

メッセージ:藤木隆

2022年3月27日 (日)

安息日の祝福

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安息日の祝福

出エジプト20:8-11

1.安息日の制定

20:8-11の十戒の第4戒に、「六日間、働いて」、「七日目」は「安息日」なので、「どんな仕事もしてはならない」と命じられています。Cf. レビ23:3。ユダヤ暦では、「安息日」は、金曜日の日没から土曜日の日没でとなります。「安息日」は、キリスト教においては、日曜日の「聖日」、「主日」となりました。初代教会は、日曜日に共に集まり、主を礼拝するようになりました(使20:7、Ⅰコリ16:2)。それは、イエスの復活が「週の初めの日」すなわち日曜日だったからです(マタ28:1)

2.安息日を守る意義

① 神の創造の業を覚えるため

20:11。神の創造の業を覚え、創造者なる神を礼拝します。

② 神の救いの御業を覚えるため

5:15。エジプトでの奴隷状態から、解放されたことを覚えます。

③ 神との関係を覚えるため

31:13,17。イスラエルが神の民であるということの「しるし」です。

3.安息日を聖なる日とする

主は、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」(20:8)と言われました。すなわち、世俗なものものから分離して、主にささげる日とするという意味です。出16:4-5。イスラエルの民は、6日目に二日分のマナを集めなくてはなりませんでした。大切なことは、「安息日」が守れるように、自分の生活を管理することです。イザヤは「安息日」を「喜びの日」「はえある日」と呼ぶようにと教えています(イザ58:13)

安息日を守るなら、祝福があることを約束しています(イザ58:13-14)Cf.イザ56:4-8。喜びをもって、安息日を守っていきましょう。

メッセージ:伊藤正登師

2022年3月20日 (日)

神の近くにいる

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神の近くにいる

                             詩篇73篇

アサフはダビデの幕屋礼拝における有能な賛美リーダーの一人です。その最高位にいる賛美リーダーが、ここで言っている問題が自分の内に湧いてくる「ねたみ」や「ひがみ」といった問題です。そして、彼の結論がこれです。「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです(28節)」この「ねたみの心」は誰の心にも湧いてくるもの、私たちはこの詩篇から、その心の思いをどのように解決すればいいのかを見ていきましょう。

1.聖所に入る(神を礼拝し神を瞑想する)

まず、この「ねたみの心」は「信仰の歩みを狂わせる」ものです。このことに対して詩篇は「しかし私は絶えずあなたとともにいました。(23a節)」と、神の家にいることを強調しています。聖所に入り、神を礼拝し、神との親しいかかわりを持つことが、この「ねたみの心」をなくす方法です。「まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります(詩84:10)

2.悟りを得る(聖霊に満たされ導かれる)

次に、この「ねたみの心」は「信仰生活を形骸化させる」ものです。この危険性に対して詩篇は「あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。(25節)」と言っています。信仰生活とは、神だけを信頼し頼ることです。他の何ものにも助けを求めることはしません。聖霊は助け主、神の知恵の霊です。

3.自分の姿勢を正す(悔い改め、キリストに従う)

「ねたみ」は、私たちから「神に感謝する力も祈る力も奪っていきます」しかし「あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。(23b節)」と詩篇に書かれています。神の力と愛に満ちた右の手が、私の右の手をしっかりと捕えてくださり、私の心を神に向くようにしてくださいます。日々心をチェックしましょう。

メッセージ:藤木隆

2022年3月13日 (日)

悟らなかったベルシャツァル王

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悟らなかったベルシャツァル王

ダニエル5:1-31

1.聖書の人物の成功や失敗を見て悟ろう

ネブカデネザル王は傲慢の罪により神に打たれました。ベルシャツァル王は父ネブカデネザル王の失敗を知っていたのに何も悟りませんでした。人は、悟りがなければ獣のように滅びるのです(詩篇49:20)。私たちは聖書を読み、信仰者たちから信仰を学ぶことができます(ヘブル12:1-2)。同様に、失敗者たちの失敗を反面教師として学び、同じ失敗を繰り返さないようにしましょう(ダニエル5:22)。何が神の御心なのかを知り、自分の生き方が変わることが大事なのです(ローマ12:2)。

2.神の御前で高ぶらないようにしよう

ベルシャツァル王は、①天の神に対して高ぶり、主の宮の器具で酒を飲みました。私たちは神のものを勝手に使ったり盗んだり汚したりしてはなりません。主の御名をみだりに唱え、自分の都合で使ってはいけません。主の御名を汚してはなりません。たとえば、主を信じる者が盗みを働いて悪事を行うなら、御名を汚すことになります(箴言30:9)。イエスの血を汚してはなりません(へブル10:29)。私たちはイエスの血によって罪が贖われました。ですから、もう世の人たちのように生きて不信仰に戻ってはなりません。イエスを二度十字架につけるようなことはいけません(へブル6:4-8)。安息日も主のものです(マタイ12:8)。兄弟姉妹も神のものです。兄弟姉妹を愛しましょう(エペソ1:23)。教会堂も教会の器具も神のものです。大切に扱いましょう。祈り会やミニストリーなどの神の働きも神のものです。できるだけ協力しましょう。②銀や金などの偶像の神々を賛美して真の神を賛美しませんでした。私たちの寿命も生きる道もすべてを握っておられるのは神です(ダニエル5:23、詩篇1:6)。神を賛美しましょう。

メッセージ:柴田晃師

2022年3月 6日 (日)

神とともに歩む

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神とともに歩む

                             詩篇71篇

「ある日、私は浜辺を神とともに歩いている夢を見ました。」有名な「浜辺の足跡」という詩の冒頭です。作者は人生の光景を浜辺についた足跡で表現しています。大半が神とともに歩む足跡が二つなのですが、所々で一つの足跡になっています。しかもその時は悲しみに打ちひしがれている時でした。神に聞くと、「その時は、あなたをそっと抱きあげて歩いた私の足跡なのだよ」と言われたのです。この詩篇もそのように歩むことを歌っています。

1.主に依りすがる(神に依り頼む)

「わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。(口語訳)6節」私たちの人生は誰かに寄りかかって生きています。その人に身を寄せて、頼ることです。詩の作者は「私は生まれたときからあなたに抱かれています。」と言います。主がしっかりとささえてくださっているがゆえに、はじめて、依りすがり、寄り頼み、歩むことができるのです。神との二人三脚です。

2.主を心に留める(みことばと祈り)

「ただあなたの義だけを心に留めて(16節)。」ここでは「私たちが神のことを心に留める」とありますが、何よりも、「神が私たちのことを心に留めてくださる」のです。私たちはときどき、神様のことを心に留めず、忘れてしまうことがありますが、神はそのようなことがありません。苦しい時には立ち止まり、神と静かな時を持ちましょう。神はあなたのことを励ましてくださいます。

3.主が私を負ってくださる(信仰を持って生きる)

「私を再び生き返らせ、地の深みから再び引き上げてくださいます。(20節)」私たちは弱い者です。途中で疲れて立ち止まり、歩くことをやめようとします。しかし神は何度もなんども、私の手を取ってくださり、立ち上がらせ、共に歩んでくださいます。それでもどうしても歩くことができない時は、私たちを背負って歩んでくださるのです。

メッセージ:藤木隆

2022年2月27日 (日)

ギデオンの300人の勇士

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ギデオンの300人の勇士

士師7:1-23

1.戦いを恐れない者

主は、ギデオンに「恐れ、おののく者はみな帰りなさい」と言うようにと言われました。すると「民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った」だけでした(7:3)。結局、「恐れ、おののく者」とは、主を信じることが出来なかった人たちだったのです。主が用いられる人は、恐れない者、すなわち主を信じる者です。主が共にいて、主が戦って下さり、主が勝利を与えて下さると信じる人です。主は、信じる者と共におられ、信じる者と共に働いて下さいます。イザ41:10。ヘブ10:39

2.戦う備えのある人

主は、更にギデオンに「民はまだ多すぎる」(7:4)と語られました。そして、主は、イスラエルの兵士たちを「水のところ」でテストして、兵士として相応しい者を示して下さると言われました。その時、主はその「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す」(7:7)と言われ、「三百人」だけが残りました。彼らは、水を飲むことだけに夢中にならず、周りの状況に気を配り、いつでも戦うための準備が出来ている人たちだったのです。

3.一つになって戦う者

ギデオンは、イスラエル軍を三つのグループに分けました。また、兵士たちの武器は、「角笛」と「からつぼ」と「たいまつ」だけでした(7:16)。ギデオンは「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない」(7:17)と言いました。この戦いにおいては、一致が要求されたのです。それぞれの兵士が自分勝手に戦ってしまうなら、勝利することは出来ません(マコ3:24-25)。同じ一つのビジョン、目的のために心を合わせ、力を合わせるのです(ピリ2:2)。一致は、自然に発生するものではなく、意志と努力が必要です(エペ4:2-3)

メッセージ:伊藤正登師

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